2007年5月 上間友子

ひさしはイライラしていた。
馴染みとは言えないが、たまに行く喫茶店の、お気に入りの窓際の席。
ここからは中杉通りのけやきがよく見える。自分の眼が黄緑色に染まっていると想うだけで、
心も涼しく穏やかになってくる。しかしその時間、空間に水をさす、聞き捨てならない“壁談義”。
斜め後ろの男と女。先ほどからずっと、だ。
ふぇろんふぇろんのTシャツを着て、スナフキンのような帽子をかぶる男、
そして少し尖った小さめのメガネをかけ、肩から一眼レフを下げるソバージュ女。
「八重洲口のアソコ、良かっただろ?」
「うん、あのモルタルのハゲ具合は最高!でもやっぱ外せないのは
  新橋の、鳩のフンと酸性雨にヤラれた例のアレかなあ…?」
「そうそう、分かってるね〜!なかなか、やりますな〜!」
「ふふふ、まあね。」
〈おいおい、おまえらの【こだわり】ってのはそんなもんか?!〉
ひさしはこの手の人間を苦々しく思っていた。

いかに自分の切り口が個性的で、興味深いものであるか
いかに他と違った“自分”であるか、変人であるか、マニアックであるか…
坂道評論家、ポイ捨てタバコ愛好家、痰つぼコレクター、マンホール収集家、
サービスエリア学考案者、“老若男女の性嗜好と食との相対性と絶対性”研究家…云々カンヌン。
最近は他と《同じ》であることを良しとしない風潮にあるようだ。
他と若干異なる【こだわり】を持つことで、自己表現しようとする。
つまりは、【こだわり= アイデンティティ】なのである。
私って何?私って何なの?!私って何なのよーっ?!!!といった混沌、悶々、暗中模索の中、
【こだわり】を持つことで存在の自己証明が成されるのだ。
〈いやしかし、そういう思考(たとえ無意識であったとしても)から発せられた【こだわり】を、
  真の【こだわり】と言って良いのか?
  まして、その突飛な【こだわり】で存在の自己証明なんてできるのか?!〉
ひさしのイライラがピークに達しようとしている。

それを昇華するために、自己問答をするのが彼の常である。
〈いやいや!目に見えるモノに自己表現の一端を担っているようでは、赤子も同然だ!
  他の精神の中に己を見出し、己の心の中に他を見出せてこそ自己が確立されるのではないか!!
 そして、 これこそが真の【こだわり】であるのだよ!!! 〉
〈他と《違う》ということを強調表現するのが【こだわり】ではない筈だ。
  他と《同じ》であることを見出せてこそのアイデンティティであり、
  それこそ 真の【こだわり】と呼ぶにふさわしいのだ!!!!〉


かくいうひさしが【こだわり】に最もこだわっている。

 

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こだわり【コダハリ】こだわること。拘泥(こうでい)。
こだわ・る【コダハル】〈自五〉@さわる。さしさわる。さまたげとなる。
 A気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる。拘泥する。B故障を
 言い立てる。なんくせをつける。  
                  〜新村出編 広辞苑第四版 岩波書店〜より

こだわ・る【コダハル】ー中略ー
 →元来は良い意味ではない。近頃は特別の思い入れがあることも言う。
                      〜岩波 国語辞典 第五版〜より