2007年3月 相川佳輝
中学二年。
私はB組になりました。肝心の崎原はA組。これでは崎原から笑いを学べない…。まるで崎原に勝ち逃げされたような気持ちと、あの面白トーク(こう書くとサムイですが本当に面白いです)を聞けなくなる寂しさにさいなまれ、私は地元の公園でひとりガクッと膝をつき、悲しみでよだれを垂らしてアリを殺していました。落ち込んだままその日は、当時なぜか一度も笑ったことがないのに読んでいた『かりあげ君』をやっぱり一度も笑わず読み終わり、ラジオも気がのらず、床屋で破って盗んだ週刊大衆のグラビアページで気持ちや色んなトコロを鎮めて寝ました。
ここで私の中学の雰囲気を共有して頂くと話が見えやすいので紹介したい。
奇跡なのか中一の時のABC組は綺麗に人種が分かれていました。中一の時です。
A組は良くも悪くも中の上。年収/500万〜。何をやっても75点という当たり障りの無い人種が多かった感じでした。
B組はスラム街。年収/〜100万。育ちが悪いやつが多く、イジメで当時の担任を退職に追いやった不良の巣窟。しかしその分笑いの解るやつも多く、垢抜けてもいた。今私の友人のほとんどは中一の時B組だった連中である。
C組は本当にしょぼい。今で言うアキバ系。今は全く友達がいないし、誰がC組かもわからない。
私はこの中二のクラスでの生活にげんなりでした。崎原がいないだけでなく、悪いって噂の元B組の連中がかなりいたし、元A組はそんなにいい駒が来なかったんです。(C組の方は本当にあのクラスにいたのでしょうか?)とりあえず、元A組B組の互いに牽制し合い、会話をしない状態は数日続きました。私も中一の時のような焦燥感や気合いはなく、ダラダラと岩富という、実家に行くと美味しいバナナジュースが飲める奴と遊んだりして暮らしていました。そんな生活をしていながらも、なんとなく元B組の連中の勢力図がうっすらと解ってきました。まず要注意人物は空手の使い手/宮崎でした。こいつは笑いとか関係なくうまくやった方がいいな。と思いました。不思議なものでそういった目標ができると人間は何かパワーが出るもので、私は宮崎落とし計画にかかりました。LLの授業で隣に宮崎が座ったのです。宮崎はメガネをかけていました。私は別に目が悪くなかったのに目が悪いふりをして、「ちょっとメガネ貸してくんない?」と宮崎のメガネを借りてコンタクトをとりました。わかりますか?メガネを借りたのに実は私は宮崎とコンタクトをとったのです!今うまいこと言いました。はい、それだけちょっと言いたかっただけなんです…
そしてちょっと宮崎と話をして解ったのですが、なんと宮崎は一切空手をやっていなかったのです!最低ですが、私は宮崎に急に態度をでかくし、一気にたたみかけました。正直空手をやっていない宮崎は昨日のテレビの話、もしくは天気の話レベルでうまくおしりを見せる方向に繋げれば倒せました。
元B組を1人倒すと私の視野も広がり、完全に元B組の勢力図が見えました。どうやら有力者は丸山と木戸浦、そして仲田とかいうまゆ毛が薄いイケメン、そして宮崎の4人でした。そしてこの中でもっとも有力者なのは丸山でした。
丸山とようやく話せたのは席替えがあった一学期中頃。丸山は私の後ろになりました。私は「コレは来た!ターニングポイントだ!」と思いました。
私がそう思えたのも、崎原のA組からは全くと言っていい程浮いた話は聞こえてこなかったことにあります。どうやら崎原の笑いが理解できる奴が少なく、できたとしてもそいつらに向上心が無かった為、笑いが大きくならずにしぼんでいったようでした。崎原自身そこまで大きくしたがらない面倒くさがりなところも原因ではあります。つまり、私はここでグイグイ行けば、もしかしたら崎原に追いつけるのではないかと思ったのでした。余談ですが、これもまた不思議なことに、現C組はまたしても残念な組でした。
当時私の鉄板(絶対に笑える話)は小学生の時に万引きで4回くらい捕まった話でした。これを休み時間になると後ろの標的丸山にバシバシ喰らわせました。しかしこの男、元B組を生き抜き、しかも私に有力者と思わせた男だけあってなかなかの使い手でした。結局私は丸山や周りの連中を我が家に呼んで、中一で学んだ『シコシコはここ一番で!』を繰り出し、見事に丸山を倒しました。
そこからは破竹の勢いでした。みるみる私の周りには元B組の連中が集まり、現B組には私と元B組の連中で常に笑いがありました。しかし、その笑いははっきりいって85点、普通の笑いでした。そうなんです。私は一切イキをやっていなかったのです。私の中の何かがソレを許さなかったのならば良かったのですが、なんと自分の力でここまで来たことに天狗になり、イキを忘れてしまっていたのです…とにかくここで私は笑いに実直さがなくなり、ファッションや女、ちょっとイジメにもあってその時はテトリスに走ってしまったのでした。
それから高校2年までかなり笑いのレベルを下げてしまい、気付けば普通の高校生になっていました。なぜ高校2年なのか…
そうです、高校2年に再び崎原と同じクラスになったのです。
つづく