2005年9月 相川佳輝


私は人に面白いとよく言われます。たしかに面白いことはよく言います、ほんと。
うんことか結構気軽にぽんぽん口をついて出てきますし、おちんちんとか言わせたらニヤニヤしちゃいます、私が。
そんなひょうきんな私なんですが、いつから面白かったのか、そしてどう面白くなっていったのか自伝を書いてみました。
幼稚園の頃は「よしてる君はとても優しいね。おにょにょ。」とか先生に言われていました。ここでは私より先生の方が面白いです。
小学校一年生にあがった時、私は教室で鼻くそを食べていました。この時だいぶ腕は上がってきていますが、同級生に「お前鼻くそ食ってンじゃねェよ。」と指摘され、「うるせー。」しか言えなかったので、ここではまだ腕は上がったとはいっても同級生の金山君の方がランクは上でした。
五年生の時、クラスで一番面白いのは誰か?という企画がありました。
その頃の私は登校時に必死にとんねるずのモノマネや、西城秀樹のマネを独り練習したりと面白くなろうとしていました。しかしその健闘空しく一位は金山君になってしまいました。
マラソン大会の時、ゴール地点で私がポコチン出してクルクル回っていたギャグが、女子の間で理解不能だったことが敗因に思われます。金山君はなかなかイケた面していて、しかも下ネタはほとんど言わなかったのです。私は二位になったのですが、理由が分らずなんとも言えない屈辱感でいっぱいでした。
そんなある日、私の小学校でのくだらない話をした時、両親が爆笑したことがありました。
私はそこでちょっと今までに無い感覚を覚えました。アクションではなく、話で笑わせたのです。
プールに飛び込んでプールサイドに出てくると全裸、といったギャグではない、なんだか大人な笑いがそこにはありました。 
そんな時、父親の誕生日がやってきました。私は父親が大好きな『こち亀』のコミックを買ってあげました。
家に漫画があればとりあえず読む年頃です。それまで全く大人系漫画を読まなかった私が喧嘩ものではない漫画を読みはじめたのです。
ここがターニングポイントでした。私は当時50巻近く出ていた『こち亀』を全巻揃えたのです。
当時の『こち亀』はちょっと小学生では理解しがたいマニアックな内容でした。私は頑張って『こち亀』についていこうと必死で読みあさったのでした。その辺から金山君との差も歴然としてきました。
私がすごかったのはそこで話しのみにならず、ちゃんと今までの下ネタもしっかりとこなしていたということです。
小学校六年の時、金山君はサッカーに夢中になりだいぶ腕がなまってきていました。
一方の私は『とんねるずのオールナイトニッポン』『ビートたけしのオールナイトニッポン』『ウッチャンナンチャンのオールナイトニッポン』と聞きまくり、小学生の笑いのレベルは遥かに超えていました。
しかし私がすごかったのはそこで話しのみにならず、やっぱり下ネタもきちんとこなしていたということです。
この頃には私は自他共に認める学年一位でした。
三学期、このまま私は芝小学校を面白い人一位で勝ち逃げできると有頂天になっていました。それもそのはず、『こち亀』のマニアックさ、『とんねるずのオールナイト』のチェ−ジュウだの業界用語だらけの内容に半年かけて追い付くガッツ、『ビートたけしのオールナイト』の小学生では思いつきもしない下品な内容を雰囲気だけで把握するイメージ力、そして何をも恐れない汚れた芸風、どれをとってもあと2、3ヶ月で修得できる能力を持っている者は同級生の中にはいなかったからです。
しかしそんな無敵だった私に悲劇が起こりました。私の学校は人数が少なく、1クラス35人前後でした。
それだけしかいないと絶対に一人一回はクラス中に嫌われる時期があるのです。今度は私の番でした。クラス中が無視です無視。これはきつかったです。いくら面白いこと言っても聞いてないんですもん。そしてそのまま面白い人とかいう前に嫌いな人一位で私は卒業することになりました。

小学生レベルを遥かに超えた笑いの才能を持った私は、途方にくれ、変に鼻が高くひねくれたまま中学校に上がるのでした。
そこで私の師というべき絶対に超えられない笑いの神に出会う事も知らずに…小学校編だけでこんなに長くなってしまいました。
読んでいただいた方どうもありがたまきん。
いつか機会があったら中学校編で逢いましょう。では。